それは、長かった戦いが終わり、四つ葉町へと帰ってきて数日が過ぎたとある朝のことだった。 「ラブ、聞いて欲しいことがあるの。」 朝食が終わり、いよいよ翌日に迫ったダンス大会のための最後の練習へと向かおうという、まさにそのときだった。 ラブの部屋を訪れたせつなは、そう切り出したのだった。 「・・・なぁに?せつな。」 せつなの顔を見て、ラブは少しだけ、彼女がこれから言わんとすることを感じ取っていた。 せつなの表情は、少し前に単身で占い館へと乗り込んだときのそれに、少しだけ似ていたから。 そういえばあの時も、ちょうど今みたいにダンスの練習に向かうときだった。 部屋から出てきたせつなの様子が少し違っていたのを今でも覚えている。 あのときはそうはならなかった。させなかった。 だけど、今日はそうなってしまうのだろう、と。そうラブは予感した。 別れの予感が、あった。 「私、ラビリンスへ帰ろうと思うの。」 「え・・・どういうこと・・・?」 「イースだった頃の私は、自分はメビウス様のために存在していて、メビウス様の命令にただ従うことだけが全てだった。私自身の幸せなんて考えたこともなかったわ。 それが、ラブや美希にブッキー、それにお父さんやお母さん、四つ葉町のみんなと出会って、私も幸せを感じられるってことを知ったわ。 それだけじゃない。 みんなが私にしてくれたように、人は誰かを幸せにできるということ。 そして誰かが幸せになると、自分も幸せになれるということ。 ―これはラブ、あなたが教えてくれた。」 「・・・・・・」 「―私もやってみたいの。 私の力で、ラビリンスをこの四つ葉町のように笑顔と幸せで満ち溢れた世界にしたい。 そのために精いっぱいがんばりたいの。」 「だから私、ラビリンスに帰ろうと思うの。」 「そっか・・・」 そう言った時のせつなの表情は、これまで彼女が見せてくれたどの笑顔よりも キラキラと輝いている、最高の笑顔だとラブは感じた。 だから彼女もできうる限りの最高の笑顔で言葉を返す。 たとえ別れの痛みはつらくとも、我慢して。顔には出さないように。 「わかったよ。 せつなのその気持ち、すっごくいいと思う。」 だけど、少しくらいはワガママ、聞いてくれるよね? そんな風に、心の中でぺろりと舌を出しながら。 「それじゃあ、デートしよっ。せつな!」 ************************************ 「みんな、お疲れ様っ!すっごくいいダンスだったよ! 今日はこれで終わりにするから、あとはゆっくり休んで、 明日は最高のダンスを見せてあげてね!」 「ありがとうございました!!!!」 ラブたち自身からしても、今日のダンスは今までで最高のダンスだったと胸を張って言える出来だった。 この調子ならば、明日の大会で優勝することも夢ではないだろう。 せつながラビリンスに帰ってしまうこと、それを今は秘密にしておこうと言ったのは 他ならぬ彼女自身だった。 明日は大事なダンス大会の決勝。 一度はイースとして台無しにしてしまったけど、今日までみんなと一緒に精いっぱい頑張ってきた目標だったから。 こんな土壇場で美希やブッキーを動揺させるようなことはしたくないから。 きっと二人なら大丈夫だろう、そうラブは思ったけれど、せつなの気持ちを汲んで ダンスに集中することにしたのだ。 幸い、美希たんにもブッキーにも、もちろんミユキさんにも二人だけの秘密があることは 気づかれなかったようだ。 「それじゃ、行こ?せつな。」 「・・・うん。」 「ねえ。これからみんなでカオルちゃんのどーなつ、食べに行かない?」 「あっ、ゴッメ〜ン!私達、これからちょっと用事があるんだ〜。 というワケで、また明日ね〜!バイバ〜イ!」 「・・・二人とも、またね。」 「あ、ラブちゃん?せつなちゃん!? ・・・・・・行っちゃった。」 「・・・・・・ねえ、美希ちゃん。聞かなくてよかったのかな?」 駆け出していった二人の親友の背中を、美希と祈里はしばらく見つめたままでいた。 「ん?何がよ。」 「だって、ラブちゃんとせつなちゃん、なにか悩み事があるような感じだったから・・・」 「まあね。ラブは心なしか眼が赤いし、せつなは少し思いつめたような感じだったし。 でも、ラブもせつなも、相談ごとがあるならそう言ってくるだろうし、 心配いらない、ってことじゃないのかしら。」 それを二人だけの秘密にするってのはちょっといただけないけどね、と付け足して。 「それじゃ、あたし達はドーナツ食べに行きましょ。」 「・・・うん。」 小さくなった二人の背中を見送って、美希たちもまた歩き出した。 ************************************ 「ここで、私達は出逢ったんだよね・・・。」 ラブとせつなが最初に訪れたのは、先ほどの公園から程近い森の中だった。 「ええ。インフィニティを求めてこの世界にやってきた私達の館に あなたが迷い込んだのがきっかけだった・・・。」 森の中ほどまで進んで、二人は歩を止めた。 かつて大きな屋敷が存在していたはずのこの場所も 今はその事実を否定するかのごとく、何の痕跡も残っていなかった。 「やっぱり、もう占い館はきれいさっぱりなくなってるね。」 「ええ。まるで最初から何もなかったみたい・・・。」 つい先日、この場所であった激しい戦いを二人は思い出していた。 そのときを物語るようなものも、やはりなにも見つけられなかった。 いつからかそうあったように、ただただ緑と静寂が満ちているだけだった。 けれど二人にとっては、この場所はたくさんの思い出が残されている場所だった。 この森で、二人は出会って。 敵として、友として互いの想いをぶつけ合い。 一度は別れて。 そして再び出逢って――。 それ以外にもたくさん。たくさんの思い出がある、大切な場所だった。 気がつくと、せつなの手が、ラブの両手に包まれていた。 「ありがとう。」 「私ね、せつなと出会えてほんとうによかったって思ってる。 最初は敵だったかもしれないけど、私は初めて出会ったときから せつなのこと、とっても大切な人だって、思ってたよ。」 「ラブ・・・・・・」 繋がった手と手を通じて、ラブの温もりが、鼓動が伝わってきていた。 それはとても心地よくて、自然と心が安らいだ。 「せつなと出会って、いろいろなことがあって。 大変なことやつらいこともあったけど、今では全部。 そんなことも含めて、全部、せつなとの幸せな思い出なの。」 「だから・・・ありがとう、せつな。私と出会ってくれて。 せつなと一緒だったから、私はこんなにたくさんの幸せ、ゲットできたんだよ。」 自然と、せつなも、もう片方の手を重ねた。 自分の熱が、鼓動が伝わることを信じて。 「ううん。私の方こそ、ラブには感謝してる。 ラブと出会わなければ、私はきっと一生幸せというものを知ることができなかったわ。 あなたと出会ったからこそ、私はここにいるの。イースではない、東せつなが。」 「だから。私からも、ありがとう、ラブ。」 ふいに、繋いでいた手が解けた。 そしてその手はそのまませつなの身体を抱きしめていた。 背中に回された手は強く。そのしぐさだけで、想いを、感情を、雄弁に語る程に強く。 ラブは、せつなを抱きしめていた。 「私、本当はせつなとさよならなんてイヤだよ! せっかくこんなに仲良くなれたのにお別れなんてイヤだ! 離れたくない!もっと一緒にいろんなこと、楽しいこと、幸せゲットしたいよ!」 ラブの想いは言葉にするだけでは足りない程、心の底からあふれ出ていた。 言葉にならない想いは、涙となってあふれ出た。 きらきらとした綺麗な粒が、せつなの胸にいくつも降り注いだ。 「・・・だけど、せつなは自分の幸せ、見つけたんだよね? だったら私は、せつなが幸せゲットするお手伝いをするって決めたから。 せつなに笑顔でいて欲しいから。 それが、私の幸せだから。」 「ラブ・・・ラブ、私…!」 伝えたい想いがあった。けれど、言葉が出てこなかった。 想いはハートの器からあふれ出す程に募っているのに、それを言葉として形にすることが なかなかできなかった。 ただ、大切なひとの名前を呼ぶことしか。 想いを込めて、強く抱きしめ返すことしか、できなかった。 ラブの瞳が、せつなを見つめていた。 涙という宝石をちりばめたその表情は、満天の星空よりも美しく光り輝く、最高の笑顔だった。 「今、私がせつなにしてあげられるのは、笑顔で見送ることだけだから・・・ だから、がんばって笑顔でいるね?」 本当に、言葉が出なかった。 否、二人にはもう言葉は必要なかった。 かわりに、溢れる想いは涙となって流れ出た。 それは決して、悲しみの涙ではなかった。 例えるならば、花嫁に降り注ぐライスシャワーのような、祝福の涙だった。 だから、ラブは笑顔だった。 だから、せつなは笑顔だった。 いつ止むとも知れぬほどの涙を流しながら、二人の少女は笑顔だった。 ************************************ 朝。 町はずれにある、四つ葉町を一望できる丘の頂に、一人の少女が立っていた。 少女はただ静かに、町を見つめていた。 その表情には数多の想いや感情が混ざり合っていたが、 ただ一つ、「幸せ」という想いを抱いていることだけは確かだった。 そのとき、一陣の風が丘を駆け下りていった。 この季節にしては珍しい、暖かで優しい風だった。 「―――――。」 風の中、少女は何かを呟いた。 その言葉は風に溶け、そしてそのままクローバータウン・ストリートを吹き抜けていった。 町を、人々を優しく撫ぜていくその風は、暖かく、そして少しだけ寂しく。 冬の終わりと、春の訪れを告げていた。 少女の姿は、もうなかった。 ************************************ 「ん〜っ。いい天気〜。 今日はいっぱい幸せゲットできそうな気がするよ〜。」 通学路を歩く途中、ラブはふと足をとめて空を見上げていた。 透き通るような空の青は、見ているだけで幸せになれる気がした。 「せつなもこんな風に空、眺めてるかな・・・。」 もしも彼女も今、同じように空を見上げていたなら、それはとても幸せなことだと思った。 ほんの少しだけ胸が痛むのは、今は隣にいない少女のことを想ったからだろうか。 刹那、風が吹いた。思わずラブは眼を細めた。 そのときだった。 声が聞こえた気がした。 きっと周りの誰に言っても、幻聴だというだろう。 けれど、ラブには確信があった。確かに、彼女の声を聞いた、と。 ラブは走り出した。 後で美希とブッキーにも今の出来事を教えてあげようと、そう考えながら。 周囲に幸せを分け与えるように、満面の笑顔を携えて。 きっと今日はもっと幸せをゲットできると、そう信じて。 「みんなで幸せ、ゲットだよ!」 <終>