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■   魔法の国の人形遣い   ■
- Puppeteer in country of magic -

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  ―― 「魔法の国の人形」 ――



 少女に母が言った。
 ある程度の形が整うまで、あなたは、わたしの知る人間以外に関わってはいけない。
 常に不完全をさまよい続ける人間界の人間達は、だからこそあなたという存在を脅かす。
 魔界の人間――魔界人――として生まれた少女に、魔界の神たる母はそう言った。
 少女は、その理由を問いはしなかった。
 なぜなら、ここは母が作りあげた世界であったから。
 母がそう言うのなら、わたしはその言いつけを守る。
 少女は、母や家族が自分と同じ存在であることに、疑問を持つことはなかった。
 だから、母の言いつけになんの疑いを抱くこともなかった。
 同じ存在から生まれた『自分たち』を、疑う必要などなかった。



 ――その世界が魔法によって作られたものだと、少女はまだ知らなかったのだ。



「……アレは、なに?」

 少女にとって、眼前の光景は信じられないものだった。
 魔力の乏しい、見知らぬ人間の姿。
 少女は驚く。
 ここは魔界、母が造りあげた、魔界人だけが住む世界のはずだ。
 なのに、か弱い人間がのんきに空を飛んでいる。
 なにを恐れるでもなく、風のままに気のままに、空を飛んでいる。

「魔界人もたいしたことないな〜」

 そしてその人間は、そんな聞き逃せない一言も呟いた。
 常人よりも力の発達が早かった少女は、並の人間や魔界人を超える聴力も持っていた。
 ゆえに少女は、人間のそんな独り言を耳に入れてしまった。
 ふっと、少女の脳裏に姉の顔が思い浮かぶ。
 魔界の入り口を守っているはずの彼女が、どうして人間をとおしたのだろうか?

 ――こんな人間に、負けたの?

 理解できなかった。
 少女は、人間からたいした魔力を感じなかった。
 研究熱心な少女は、博学で力の強い、尊敬すべき人間の存在も知っていた。
 しかし、箒にまたがったその人間の力は、姉よりも小さいくらいではないかとも思えた。
 だがその人間は、魔界の入り口をくぐりぬけ、魔界人の住む場所をとおり少女の眼の前にいる。
 人間は、魔界へ土足で入り込んできた。
 少女の世界に、少女は土足で上がりこんできたのだ。
 その行為を、少女は許せないと「感じた」。
 少女の身体が、静かに動く。
 意識しない無意識の行動。
 母から禁じられた行為だと気づかぬうちに、少女は叫び声をあげていた。

「そこまでよ!」

 少女は、しかしその行動を恥じることはなかった。
 母はああ言っていたが、勝手な人間達の振る舞いを許してはおけない。
 魔界人の一人として、少女はそうやって自分を「納得」させた。
 炸裂するのは、魔界の空に咲く弾幕の光。
 少女は魔法を得意とする存在として、母に作られた。
 眼前の人間も魔法使いのようだったが、その力は少女に及んでいなかった。
 未だ不完全な状態の人間では、魔界人のなかでも力を持つ自分に勝つことはできない。
 そう、少女は確信していた。
 確信、していたのだ。 

「……?」

 少女は人間と打ちあいながら惑いはじめる。
 今のままでは、眼の前の人間に勝てないのではないかと思いはじめる。
 何度も何度も危機に陥らせたはずなのに、人間は何度も迫ってくる。
 なぜ勝てないのか、なぜ諦めないのか、少女は人間を理解できない。
 愚かな人間に、自分よりも弱い人間に、「不完全で未熟な人間」に、なぜ勝てないのか。
 なぜ、目の前の人間は、不完全でもろいのに、なぜ「諦めない」のか。
 迷いは隙を生み、少女の弾幕に道を作る。
 人間が通るにはわずかな隙間ながらも、見るものによってはとても眩しい一筋の道。
 少女は、未だ思考する。
 その身を空から落としながら。
 迷いの末に、答えを求め始める。
 どうして、眼の前の人間に勝てなかった「のだろうか」。
 どうして、わたしは落ちている「のだろうか」。
 どうして、どうして……?



 ――「どうして」?






  ―― 「鏡の国のアリス」 ――



 アリス・マーガトロイドが二人いた。

「……は?」

 立ち尽くす一人のアリスに、その横で、自身の似姿を観察するもう一人のアリス。
 いつもならここで一人ぼっちの人形遣いが、迷惑顔でこちらを見つめてくるという光景のはずなのだ。
 が、今回の光景は少しばかり異質だった。

「ああ」

 魔理沙は、内心の戸惑いの理由を見つける。
 そうか、彼女はもう妖怪だ。
 人、なんて数え方はもう当てはまらない。正確には二妖というのが正しいか。
 二人いるはずがない。
 二つの妖怪がいるのだ。
 霧雨魔理沙は安堵する。自分の間違いを訂正できたことに。

「――いやいや」

 問題はそこじゃないぜ? と冷静に自己観察。我を見失ったらそこでワンコイン終了だ。
 自己逃避を経て現実に舞い戻り、面食らった眼の前の光景をしっかりと見つめる。
 そこには先ほどと変わらず、アリス・マーガトロイドと呼ばれる姿が二つある。
 戸口で頭を抱える魔理沙へ、片方のアリスが瞳を向けて、口を開く。

「呼び鈴くらい鳴らしなさい。失礼にあたるわ」

 魔理沙は声を聞いて、それがいつものアリスと変わらないものだと思えた。
 だが、眼前の光景に違和感がぬぐえたわけではない。
 アリスらしい、アリスに似た、むしろアリスそのままの姿が二つ。
 整った金髪に、人形のような瞳。
 細く白い身体を包む、青色のワンピース。
 どこをどう見ても、魔理沙の知る、魔法使いとしてのアリス・マーガトロイドそのものの姿だった。
 はてさて、と記憶を探ってみる。
 が、アリスが双子だったとか、アリスは分身が出来るだとか、実はゾウリムシのように繁殖するだとか、
 そういった話は聞いたことがない。
 聞いたことがないだけかもしれないが、少なくともそんな噂もない。
 記憶を探り、思索しながら、魔理沙は二妖を見比べる。
 すると、あることに思い至る。
 至極単純で、だからこそ、最も見落としやすい回答。

「もしかして……片方は人形なのか?」
「そう。わたしに似た、わたしでない彼女」

 冷静な表情で感情低く、アリスは魔理沙にそう語る。
 眼の前の魔法使いは、人形を操るのが得意なのだ。
 なら、一つくらい、自身の似姿を造形するなどたやすいことなのだろう。
 納得して、そんなアリスを見つめながら、魔理沙はドアをくぐる。
 解決した謎とは別の、謎が言葉にならない、新たな疑問を心に浮かべながら。

(いつもならここで、文句の一つくらい言われてるんだがな)

 不法侵入だー、ノックくらいしなさいー、連絡くらいしなさいー、そんな細々とした文句をいつもなら言われる。
 不思議なこともあるものだ、と魔理沙は怪訝に思いながらも、心の中だけでその言葉をとどめる。
 追求するほどのことではない、と思えたからだ。
 魔理沙は無遠慮に、二妖の側に歩み寄る。怯んだら負けだ。
 近づいて始めて、魔理沙はあることに気がついた。
 片方の『アリス』は瞳を閉じて、まるで眠っているかのように、アリスの横に佇んでいること。
 まるで人形のようだな、そう思いながら、魔理沙はアリスに尋ねる。
 眠っている『アリス』へ視線を向けたままで。

「こっちが人形か? 本物みたいによく出来ているぜ」

 魔理沙は、アリスの様子がいつもと違うことに納得する。
 出来の良い研究成果ほど、人の性格を変貌させるものはないと知っているからだ。

「褒めるなんて、あなたらしくないわね」
「だから、触ってもいいか?」

 興味を隠そうとしない魔理沙に、アリスはうなずく。

「どうぞ」

 魔理沙は手を差し出して、人形の『アリス』の腕を握る。
 力を入れると、女性特有の柔らか味が魔理沙の手に伝わった。

「おお、まるで本人みたいな手触りだな。ぷにぷにしてる」
「下卑た大人のような言い方をするのね」

 ストレートすぎるアリスの指摘に、魔理沙は苦笑する。

「いやまあ。ただ、実際そうとうなもんだな。まるで本物のアリスだぜ」
「当然よ。なぜなら、あなたが触っているほうが本物なのだから」

 その一言にいたるまで、アリスの声音からは何の感情も読み取れない。

「……なんだって?」

 そこにいたってようやく、魔理沙はその無感情さの違和感に気づいた。
 その事実に魔理沙が驚くと同時、今まで瞳を閉じていた『アリス』がまぶたを上げる。
 代わりに今まで話していたアリスがさらに無表情となり、
 今まで黙っていたもう一人の『アリス』――『本物』のアリス――が、かすかな微笑を浮かべる。
 勝利を確信した、上から下のものを見る、余力ある余裕の微笑を。

「あなたを騙せるくらいなら、この子もたいしたものね」

 呆気にとられる魔理沙の顔を見つめながら、アリスは平静を装うようにそう言った。
 嬉しさを隠しきれていないアリスに、渋い表情で魔理沙は水を差す。

「甘いな。私はお前が本物だと知ったうえで茶番に付き合ってやったんだ。それを忘れてもらっちゃ困る」
「はいはい、言ってなさい言ってなさい」

 魔理沙の物言いを、アリスは負け惜しみだと知っている。
 だから、アリスはその言(げん)を一蹴する。負けず嫌いに付き合っていたら話が終わらないからだ。
 悔しそうな――表にはあまり出ていないが――魔理沙を横眼に、アリスは人形に手を伸ばす。
 ゆっくりと自分の顔そっくりの人形へ、視線と指先を這わせる。
 その様子を見て、魔理沙は呟く。騙されたことに対する、少しばかりの嫌味を含めて。

「ナルシシズムの研究か?」
「どうしてそうなるのよ」
「自分そっくりの人形を、人前でジロジロ見てるんだ。お客をもてなすことなくな。なら、そう思われたってしょうがないだろう」

 魔理沙の言葉に、アリスはやれやれといった表情を浮かべながら言い返す。

「人間と接触した後に、彼女がどういった変化を受けたのか調べているのよ。
 この子に接触したのは、わたし以外ではあんただけだからね」
「研究熱心なことだな。お客をさしおいて研究か。まったくひどいヤツだぜ」
「そっくりそのままお返しするわ。それに、お客ならノックもせずに入ってきたりしないわよ」
「甘いな。鏡の国へ入り込んだヤツに、現実の声は届かないだろ。なら、強行突破しかないじゃないか」

 まるではじめから全てを知っていたような、魔理沙の口ぶり。二枚舌ならぬ、虚構舌。
 ――窓から覗いた後に、ドアを開くことにでもしたの。ご苦労なことね。
 魔理沙のつじつまの合わない言葉に、アリスはそんな皮肉も思い浮かべる。

「……自分の顔を、まあ、嫌いじゃないけど、用もないのに何時間も見続けるなんて理解できないわ。少なくともわたしにはね」

 だがアリスは、内心の皮肉ではなく鏡像にたいする自分の意見を口にした。
 魔理沙はその答えを聞くと、アリスと人形に視線を走らせてから言った。

「私には、今お前がそれをやっているように見えるわけだが」

 魔理沙の指摘は、至極当然の指摘であり、納得できるものだった。
 自分そっくりの人形を一から作り上げ、ある程度自律できる程度にまで作りこむ。
 他の人形でもそうだ。ある程度、そこには自身の対話と戸惑いと改変が加えられている。
 人形という形を他者にさらすまでには、何百何千何万回を超える、自己との摩擦と融合が起こっている。
 人形繰りに習熟するアリスには当然のことでも、そうでない人妖には奇妙なことに映るかもしれない。
 ましてや、その形成の最中なら、奇異を通り越して変人に見えるものなのかもしれない。
 アリスはそう理解はしたが、興味を示して、受け答える気にはなれなかった。
 眼の前の自分に似た人形は、あくまで自分に似た人形に過ぎないからだ。
 他の人形達であっても、あくまで自身の生み出した、人形と呼ばれる人の形に過ぎない。
 今回の研究対象が、他者ではない自分を象った、人形という名の別物にすぎない。アリスにとっては、それだけのことでしかない。
 他者には自分を愛でているように見えるのかもしれないが、アリスにとってはそうではない。
 重要なことはそれであり、それを忘れれば、確かに魔理沙の指摘するとおりの自己愛に陥るのだろう。
 ならば、自分と似た人形が、自分でないことを確認する。
 そこまで考えて、魔理沙の問いが、アリスの行っている実験の始まりだったことを思い出す。
 アリスが行っている実験は、自分と似た『アリス』と呼ばれる存在が、
 求めている『自立』人形ではないことを確認するためのものだった。
 そんな内心を、アリスは魔理沙に説明する気にはなれない。
 なぜなら、魔理沙もある程度察したうえでアリスをからかっているのがわかるからだ。
 以心伝心、などとこの国には上手くて嫌な言葉がある。
 アリスは、どうしてその相手が彼女なのだろうと常々思うことがある。
 ――少女の頃の、落ちてゆく空のイメージを脳裏に浮かべながら。
 だから吐息をついて、アリスは別の話題をふることにする。

「今日は何の用? こうして無駄話に来たのなら、とっと帰ってほしいんだけど」
「実験に付き合ってやったのに、つれないな」
「あなたが今日やってきたのは、気まぐれと無駄話のどちら?」
「どっちも同じじゃないか。私はただ、今度の宴会に誘いに来ただけだぜ。どちらでもない」
「宴会なんて、気まぐれと無駄話の最終地点じゃない」
「そりゃそうだが、だから宴会は楽しいんじゃないか。どうする?」

 魔理沙は問いかける。
 なぜなら、口で言うほどにアリスは宴会を嫌っていないことを知っているからだ。
 気まぐれと無駄話の中に貴重な知恵が眠っている、蒐集家である一人と一妖にとっては自明のこと。
 そのことを知っている魔理沙は、そのことを知っているアリスの答えを待つために、椅子を引いて腰掛ける。
 アリスが答えを口ごもるのも、決してそうした無駄から生まれる時間が嫌っていないからだ。

「……残念だけれど、お断りするわ。この子の調整に、しばらく集中したいの」

 しかし、それも時と場合と自身の興味による。
 優先すべきものを口にすると、魔理沙はアリスにうなずいた。

「そうか。まあ、仕方がないな」

 あっさりとした口調でうなずいて、魔理沙は手元の紅茶を口に含む。

「……まあ、な」

 そして、さりげない調子で言葉を付け加える。
 どこか真剣に張り詰めた、アリスの表情を見ながら。

「あまり根はつめるなよ。言っても無駄かもしれないけどな」
「安心して。あなたと違って、わたしは回り道が嫌いなわけじゃないから」
「確かに回りくどいな、色々と」

 自分では紅茶を入れず、しかし人形に丁寧に入れさせる。
 目の前で暖かな湯気を上げる紅茶は、アリスの手により入れられたものではない。
 自立することのない人形達は、アリスの繰りなしには、こうしたことはできないというのに。
 客人の持て成しをきちんとできるのに、魔理沙相手にはどこかそっけなく、突き放した感がある。

「……回りくどいな、色々と」

 そうした関係だということも、納得はしている魔理沙ではある。
 それでもそう呟きたくなる時も、ある。

「二回も繰り返さなくていいわ」

 その間も、アリスは人形を確認する作業を休まない。
 他の魔法使いの前で作業をするのは、本来好ましくない。
 つまり、今のアリスはそれほど研究対象に熱を入れているということでもある。
 それがまた、魔理沙にとってはあまり面白くはない。
 突っぱねられて突っぱねられているのではなく、無視されている感があるからだ。
 魔理沙はそんなアリスの気を引くように、口を開く。

「まあ、私も研究でしばらく来られないしな。しばらくは専念できるぜ。寂しがるくらいにな」
「あら、あなたが手の内を明かすなんて珍しいわね」

 アリスは、魔理沙の微妙な誘いに気づかない。いや、気づけないといったほうが正確かもしれない。
 研究に没頭した魔法使いほど、他人に気を使わない人種はいない。
 そうした態度をとることに、魔理沙も身に覚えがある。なので、無視され気味な現状は当然だと納得はできる。
 しかし、会話がないのとアリスが宴会に来ないのは、少しばかり寂しい。
 よって、口を開くことは止めない。

「明かしてないぜ。研究をするって言っただけだ。内容はわからないだろ? それはスケジュールっていうんだ」
「わたしに関係ない内容なら、スケジュールにもならないわ。あなたの個人情報なだけじゃない」
「そういうことだ。それに、関係があったらそもそも暇つぶしなんかする気はないぜ」
「じゃあ、今のわたしが暇でないこともわかってるわね」
「それは私の感知するところじゃないからな。気にしないことにする」
「気にしなさい」

 一人と一妖の魔法使いたちは、そんないつもどおりの日常をぼやぼやと過ごす。
 いつもはいない、アリスに似た人形を挟みながら。



 しばらくは、そうした無駄で有益な、ゆったりとした時間が過ぎていった。
 次第に魔理沙の口数も少なくなり、静寂が部屋に満ちてくる。
 アリスが心地よさを味わい始めた、そんな時だった。

「まあ、本当に……根をつめすぎないように気をつけるんだな」

 魔理沙が閉じていた口を、もう一度開く。
 どうしてか、アリスの心に引っかかるような言い方で。

「……? わたしは、いつだって冷静よ」
「さっきのお前、始めて会った時みたいな表情をしてたぜ」
「なんのこと?」
「まあ、グリモワールを持ってるのも変わってないしな。あの頃は、今よりもう少しだけ必死だったか」
「……だから、なんのことよ」

 魔理沙がいつの自分のことを話しているのか、アリスにはわかっている。
 だが、言っている事柄はわかっているのに、その意味は汲み取れない。
 出会ったあの頃の様、アリスにとって最も居心地の良かった、幼い日々の終焉の時。
 古い話を持ち出して、魔理沙はなにが言いたいのか。
 その日々を終わらせた張本人がなにを言いたいのか、アリスにはそれを読み取ることができない。

「大きくなっても根本ってのは、あまり変わらないんだろうなと思っただけさ。気にするな」
「気にするわよ」
「だから気をつけろよ。お前はお前なんだから。焦ってなにかにすがったって、物事はそんなに変わりはしないぜ」
「……そんなこと、わかってるわ」

 始めて魔理沙に出会ったとき、アリスは弾幕で打ち負けた。
 自分の手に余る禁断の力を手にして魔界を飛び出したのも、悔しさから生まれるなにかを消してしまいたいからだった。
 全てを捨てる心意気で彼女と打ち合い、だが再び敗北した。
 幼い頃の、苦い記憶。
 あの弾幕勝負は、現在のアリスを形成した重要な一部でもある。忘れられるわけがない。

「そうか。なら、いいさ」

 魔理沙は、そんなアリスの変化を見てきているはずだった。
 それを知ったうえで、なにを言おうとしているのか。

「よくないわよ。なんでもわかってるようなことばかり言って、なにが言いたいの?」

 ――今の自分は、あの当時とは違うはずなのに。

「昔、こんな話があってな」

 アリスの戸惑いを知ってか知らずか、魔理沙は独白を続ける。

「自分の姿を愛するあまり、鏡ばかり見るようになった人間がいた。自分の全身が映るような鏡台まで買って、自分ばかり見ていた。その人間は最終的に、鏡の自分を求めてその鏡台に飛び込んだ」

 ますますもって、アリスには魔理沙がなにを言いたいのか理解できない。
 できるのは、理解できる部分のみを問い返すことだけ。

「……人間がそんなことをすれば、死ぬだけでしょう?」
「ああ、そうだな。私にも、なんでそんなことをお前に言うのかさっぱりなんだ」
「なによそれ」
「まあ、男はそんなにまで自分のことを求めていた。死ぬとわかっていてもな。だけど、最後には自分を失った。
 自分の愛した、存在もしない鏡像とともにな」
「水仙のようね」

 アリスは感想を呟いて、魔理沙の意を納得したうえで、言葉を続ける。

「……つまり、わたしがそうなると言いたいのね?」

 つまり、先ほどの話を、回りくどく言い直しているだけか。
 そう気づいて、アリスの声に少しばかりの苛立ちが混じる。

「さあな。案外に、人の話に回答なんか求めるもんじゃないぜ?」

 苛立つアリスの声に、しかし魔理沙は解答する気はないようだった。
 椅子を引いて腰を上げ、箒に手を触れ魔力を込めはじめる。
 帰り支度を始めた魔理沙へ、アリスはもう一度問う。

「まだ話は終わってないわ」
「帰れと言ったじゃないか。そろそろ宴会の時間なんだよ」
「暇だって言ったじゃない」
「さっきまではな。それに、暇がないときに暇潰しをしたら怠慢って言うんだぜ。
 どこかの巫女みたいなのがその筆頭だな。そうはなりたくない」

 魔理沙はそう言って、戸口を開ける。

「言うだけ言って、帰るのね?」

 ――まるで、あの日のよう。

「そういうことだ。じゃ、またな」

 魔理沙は箒へまたがり、空へと舵を向ける。
 間をおかずに、その姿は黒い黒点へと姿を変える。幻想郷の中でもトップクラスのスピードは伊達ではない。
 見届けて、アリスは魔理沙の開いた扉を閉じる。
 残ったのは、家の主であるアリスと人形達だけ。
 必然的に、静寂が周囲を満たす。

「……」

 ふりかえる。
 魔理沙が鏡と呼んだ存在へと。

 アリスは、自分そっくりの人形を見て、ドッペルゲンガーという概念を思い出す。
 自分と同じ姿の人間を見ると、近いうちに不幸が身にかかる。そう人間界の人間達の間で伝わっている、古い伝承の一つ。
 場合によっては、死に招かれるとも言われている。
 さきほど魔理沙がしていた話に似ている。
 アリスが行っている実験に、似ていなくもない。
 異なるのは、ドッペルゲンガーのように、あちらから出現したのではないということだ。
 今のアリスが行っていること。
 それは、鏡に映った自分の胸像をドッペルゲンガーとして形にしているとでも言えばいいのか。
 そこまで考えて、アリスは苦笑した。
 己の手で死の原因を作り出している、魔理沙にはそう見えたのだろうか。

「……やっぱり、あなたは人間だわ」

 所詮、人間の伝承に過ぎない。
 アリスは妖怪であり、魔界人でもある。
 同じ人という形を持てども、魔界人は人間より強い魔力を持っている。
 魔の言い伝えにおびえるようでは、アリスは魔法使いなどに種族変えをしていない。
 人間と似たような姿をしており、意思疎通が可能だとしても、やはり別個の種族に近い。
 自分と同じ姿を恐れるほど、弱い精神は持っていない。
 自分と同じ姿を見て死に誘われるほど、自己を弱いものだとは思っていない。

「そう。わたしは、人間でも人形でもない」

 それに、アリスはすでに魔界人でもない。
 魔法を操り、魔法を編む、種族としての魔法使いなのだ。
 そう内心で確信して、アリスは人形へと手を伸ばす。
 冷たく硬い感触が、アリスの指へ伝わる。
 指が触れた場所の肉が動き、表情を形作る。
 その人形へ、アリスは口を開く。

「こんにちは、『アリス・マーガトロイド』」

 主(あるじ)は言う。
 人形と同じ瞳、同じ声で。

「こんにちは、アリス・マーガトロイド」

 人形は言葉を返す。
 主(あるじ)と同じ瞳、同じ声で。

 苦笑する。
 こうしていると、まるで双子のように見分けがつかない。
 どちらが人形で、どちらが主(あるじ)なのか。

 ――けれどわたしは、独りしかいない。

 二対の瞳を絡ませながら、アリスはふと考える。
 人形にはアリスから魔力が供給されている。
 組み込まれた術式に従ったある範囲内で、人形はアリスから受けとる魔力の量を自動的に調整している。
 その制限された範囲を、外してみたらどうなるのだろう。
 自分と同じ姿で異なる存在が、自分の過去と他者の知識を組み込まれたら、どのような行動を起こすのだろう。
 興味を惹かれる。
 完全なるドッペルゲンガー、鏡から生まれた同一の自己、湖より湧き上がる恋したニンフ。
 そんなものを自身の手で生み出したとき、それは――『自立』『人形』に近づくことといえるのではないだろうか?

 求めていた『自立』とは異なると、理解はしている。
 おそらく、鏡像の作製と変わりないという結果。
 それを得るということが、予想できる。
 なら、その手に乗って見てはどうだろうとアリスは考える。
 アリスが造り上げようとしているものは、鏡に映る自己像ではない。
 自己の模倣として生まれ、そしてそれに気づかぬ哀れな一体の人形。そんな彼女を造ることではない。
 視覚的に差はないが、別個として扱われねばならない二つの形。そんな意味のない胸像を造ることではない。
 だが、アリスはまだその哀れな彼女との『誤差』を知らない。それを知ることは、必要なことだと思えた。
 魔界人と、自身を模した人形の『誤差』を得る。
 手に入れた過ちから、自分の求めているものが鏡像ではないという根拠を得ることができる。
 哀れな人形を生み出すことで、哀れでない『人形』を生みだす礎とする。
 特別な存在のために、哀れな存在を造り続けていく。
 アリスの眼に映る数百の人形は、そうして生まれてきた物たちだ。
 彼女たちを見て、自身の胸像へ視線を向ける。
 納得を得られるかもしれない、と期待する。
 自身と人形の『誤差』、それらを新たに見つけ出すこと。
 そうすれば、『自立』『人形』という新たな形を見出すことができるかもしれない。
 生まれでるだろう結果への甘い期待が、行動の活力ともなる。

 アリスは求めている。
 自立した目的を持ち、自律した思考を持つ、『自立』した特別な『人形』を。
 アリスは信じている。
 それは決して、今眼の前にあるような、自分そっくりの人形ではないはずなのだ。

 アリスは、ふと申し訳ない気持ちになった。
 失敗作だと呼ばれるために、彼女は生み出されたのだから。
 主(あるじ)のエゴのために、彼女は試されるのだから。

「……ごめんね、『アリス』」

 ――それでも目標は、あなたではない。

 小さく呟き、アリスは人形の頬を指でなぞった。
 魔力を込めた指先で。
 術式を組み込む作業を始めるために。
 そっと、自身の頬をなぞった。






  ―― 「プラスチックマインド」 ――



 微細な粗は、自身の造形か人形のものか。
 比較対照は自身、そして彼女の姉妹達。
 妖怪と人形、人形と人形、自身と鏡、そして人の形と人形の在処。
 比較を繰り返し、アリスに似た、アリスのような人形の問題点を見つけだす。
 同じ点、異なる点、重なり合った点。
 それらを様々な角度から見つめなおし、改良し、形としていく。
 完全に問題をつぶすことはできないが、考慮に入れておくことで対処はしやすくなる。
 チェックしながら、魔力を制限なく吸われる暴走の危険性なども考慮する。
 無論、主(あるじ)に対して負荷となるような行動をさせない術式も組み込むつもりではある。
 だが、危険は常に存在している。
 そして、危険無しで結果が訪れることもありえない。
 時間がたっぷりとあり、研究目標もある。
 理想的な環境だが、生物である以上、調子の良し悪しは思い通りにいかない。
 最近までアリスの研究がはかどらなかったのも、そうしたズレがあったからかもしれない。
 しかし、今のアリスは少しばかり違った。

「……ああ、ここがこうなるのね……」

 アリス・マーガトロイドが自身に対して認知できる知識と経験を、人形に組み込んでいく。
 スムーズに、特に大きな問題もなく、作業と研究は進んでいく。

(……まるで、自己観察日記をつけているみたいね)

 自分が微笑むように彼女が微笑んだ、そんな日の研究結果。
 同じような自己なのに、予測できる他人。
 まるで過去の自分の恥ずかしさを見るような眼にもあう。
 教え込んだらなにもかも吸収してくれる、出来の良い生徒のように。
 あえて自分の苦手なところを教えれば、同じような動作を行うことに微笑んで。
 自分の似姿なのだから当然ね、と自分自身への苦笑と慈しみ。
 未来の成果を造りながら、どこか過去を思い出してゆく、緩やかな日々。

「――ああ、やっぱりね」

 緩やかな日々の、ひとまずの結論。
 予測していたような答えが、白本のなかに刻まれていく。
 結果が積み重なった白本は、やはりどこか自己観察日記じみた匂いがしている。
 アリスと同じようにふるまう人形は、当然アリスと同じような失敗と成功を繰り返し続ける。
 そして同じように学習し、同じような結果を出す。

(予想していたとおり、という結果が得られたことを喜ぶべきなのかしらね?)

 考え込みながら、アリスは人形へ術式を使うように命じる。
 人形――『アリス』は、アリスの魔力を借りて術式を展開する。
 アリスにとっては初歩的な、それでいて馴染みのある術式。
 『アリス』は、それを記録された行動のように手際よくやってみせる。
 苦笑しながら、アリスは人形を見つめる。
 やはり、これは自分の求めている『自立』人形ではない。
 そこに愛しさと、苦さを感じる。
 じっくりと、自身の似姿を見つめる。
 ――本当に、そっくりだわ。
 そんな感想を抱いたアリスへ、ゆっくりと『アリス』が微笑みかえしてくる。
 アリスも、そんな『アリス』へと微笑を返し――。

「――?」

 ふっと、アリスのなかでためらいが生まれる。
 なにかしらの疑念を覚えたのだが、アリスはその疑念を言葉として形に出来ない。

(……今、彼女は……)

 微笑んだ。『アリス』は微笑んだ。自分と同じように。
 なぜ彼女が微笑んだことがそんなに疑わしいのか、アリスはその理由を言葉にすることが出来ない。
 アリスが考え続けている間も、人形の『アリス』は静かに微笑み続ける。
 アリスが命じた術式を終了させ、『アリス』は自分の主を見つめ続ける。



 いつもなら、もう来てもいい頃合だった。
 黒白の魔法使いの行動は、気まぐれなのに義理堅いから困ってしまう。
 少しばかり多めに用意していた夕食。
 一人で食べるには、量が多すぎる。

「――あなたも食べる?」

 気まぐれに、声をかけてみる。どこか遠慮がちに、気を使うように。
 人形の維持には魔力を使うから、『アリス』は食物を摂取する必要はない。
 だが、たまには一人でない食事もしてみたいとは思う。
 形式とはいえ、どうしてか、アリスは『アリス』と向かい合わせの食事をしてみたいと思う。
 『アリス』人形は、ゆっくりと答えた。

「いただくわ」

 気遣うように優しく答えた『アリス』へ、アリスはうなずいた。



 夕食後の静かな時間。
 いつもは慣れているはずの、穏やかな一時。
 予定されていた音がないだけで、どうしてこうも落ち着かないのだろうか。
 ソファーに背を預けて、アリスは天井を見上げる。

 ――魔理沙に会いたいなんて願うのは、疲れているからだろうか。

 根をつめている気はなかったが、ゆったりとするために整えた時間のなかではそれを自覚するしかない。
 自然、アリスの両瞼が閉じられていく。
 そうして――眼を閉じる「アリス」が、アリスの眼に映る。

「……!?」

 アリスは急いで眼を開いて、『アリス』を探す。
 こちらを見つめる『アリス』人形に、おかしなところはなにもない。
 時計を見て、時間が少しばかりたっている。
 少しばかり眠ってしまえば、夢も見るということだろうか。

(……?)

 少しばかりの違和感がアリスに訪れる。が、それがなんなのかアリスには理解できない。
 時間が立ってはいても、眠りについた時間を知らないのに、眠りに落ちていたと自身が知っている違和感に、アリスは気づけない。
 『アリス』は、静かにアリスを見つめている。
 時計とアリス、その両者を視界に捉えられる位置で。



 不可思議な感覚に、アリスは最近とらわれる。
 『アリス』と付き合い始めてから、視界がうまく思考とつながらない。
 眼の前で展開されるのは、よく知った見覚えのない光景。
 自分と似た他人が演じる、自分の生活。
 それを見る自分の視界は、記憶された映像で自分を見るような、フィルターがかかったようなものになっている。

 自分が動いているのは、自分ではない。
 彼女が動いているけれど、彼女の動きは手にとるようだ。
 アリスは『アリス』を見つめ、まるで本物のようだと感じている。

 そんな時アリスは苦笑して、意識する。
 そうすると、『アリス』はアリスと同じ行動をする。
 まるで操られた人形のように。

 手を動かせば、手が動く。
 それは、彼女にとって当然のことなのだ。

 眼の前で人形が動き、アリスがそれを見つめる。
 アリスは『アリス』を見つめる。
 『アリス』がアリスを見つめてくる。
 だがそれは、『アリス』はアリスを見つめることだし、アリスが『アリス』を見つめてくることでもある。
 つながれた感覚。
 突き放しても、魔力という鎖でつながれた無意識。
 見つめあい、わからないふりをして、魔界人と人形と分かれあう。
 だが、元は同じ魔力から生まれている。
 『アリス・マーガトロイド』という魔界人から、魔力という意識が流れ込まれている。

 アリスは考える。
 つながりが絶たれ、同一感がなくなり、アリスが『アリス』のことをなにもわからなくなる時。
 人形がアリスを拒絶し、また肯定するようになった時。
 アリスが、自身から生み出したものを理解できなくなった時。
 アリスは、理解できるのだろうか、そう考える

 ――『自立』とは、そうしたことなのかしら?

 そう思考する。
 明確になっていく、意識の中で。



 最近、思考が速くなったようにアリスは感じていた。
 以前は理解できなかったはずの計算式などが、どうしてか容易に解けるようになっている。
 魔術の法則なども、体系を理解するのが容易になった。
 逆に、魂に関する本を読むことが苦痛になった。
 だがこれは、今の研究対象が魂の練成ではなく、魔力調整にあるからだろうと納得させた。
 人形を操ることも、以前より能率がよくなった。
 上海人形や蓬莱人形は以前よりもさらに人形らしくなって、アリスの言うことをよく聞いた。
 自分と同じ人形を作成することにより、自分の見直しができたからだろう。
 『アリス』人形は、アリスが覚えさせた知識や思考をうまく駆使した。
 マスターであるアリスから魔力を受けとりながら、彼女そっくりにその結果を返し続けた。
 研究の成果は、思った以上だった。
 また、始まるのだ。
 『自律』『人形』を求め始めた、あの日の感覚が。
 アリスは、そういえば以前より夢を見なくなったことにも気づく。
 ふさぎがちになる気持ちのために購入した胡蝶夢丸も、ここ数日は一粒も飲んでいない。
 悩みも考えなくなった。思い煩うことも少なくなった。
 だから、自立人形を求める自分もずいぶん『自立』してきた、そうアリスは思考する。
 今日のアリスは、自分そっくりの人形を動かすことはせず、魔力に対する研究をしていた。
 ふと……ベッドに横たわる『アリス』人形へ視線を向ける。
 糸の切れた人形は、アリスがもう一度操ろうと思わねば、動かない状態になっていた。
 まるで人形のような美しさ、そう考えて、アリスは『アリス』なのだから当然だと考えた。
 『アリス』は人形なのだから、糸が切れれば、死んだように横たわるしかないのだ。

 ある戯れを、アリスは考えるようになった。

 ――人形になれば、人の形に欠けているものが、わかるようになるのかしら――

 そんな戯れを、よく思考するようになった。






  ―― 「人形裁判」 ――



 違和感を感じるのは、魔力の流れが少しばかりおかしかったからだ。
 以前に満ちていた、やや神経質な魔力の流れ。
 それとは異なる整合性のとれた魔力の流れが、あたり一面に満ちている。

(昔から几帳面なヤツだとは思っていたが、どうもな……)

 そんなことを思いながら、箒の高度を落として地面に降りる。

「久しぶりだな」

 帽子のつばを持ち上げながら、魔理沙は呟く。
 眼に移るアリスの家に訪れるのは、かれこれ数週間ぶりだ。
 お互いに研究に没頭していたのか、どちらからも接触することはなかった。
 人形の研究はどうなったのか、そんなことを考えながら魔理沙はドアを叩く。
 アリスには呼鈴を鳴らすように言われているが、いつもどおりに無視してドアを傷つける。
 するとアリスがドアを開け、

「魔理沙。いらっしゃい」

 微笑みながら、魔理沙を受け入れる。
 いつものような不満顔ではない、親しみをこめた表情で。

(……?)

 呆気にとられる魔理沙の心中で、違和感が大きくなる。
 だが、その違和感を表に出さず口を開く。

「ひさしぶりだ、な」
「二週間と二日ぶりね。ひさしぶりという言葉よりは、まだこんにちはのほうがふさわしいかもね」

 玄関で立ちつくしたまま、魔理沙は顔をしかめる。
 皮肉交じりの受け答え。確かに、アリスらしいといえばアリスらしい、魔理沙に対する受け答えなのだが。

「ドアのところに立ってないで、入るか帰るかを選んで。せっかく適温に調整してあるのに、室温のバランスが崩れてしまうわ」

 眼の前の妖怪は、姿形はアリスでありながら、らしくないと魔理沙は感じる。
 具体的ではないが、直感がそう告げる。
 今眼の前にいる『アリス』は、どうしてか、魔理沙が背中を預けたアリスではないような気がする。

「上海人形や蓬莱人形は、どうした?」

 うかがいながら、一つの違和感の正体に気づく。
 アリスの側にいつもいる、上海人形と蓬莱人形の姿が肩にない。
 それだけではない。今のこの家に、動いている人形は一体もいない。

「今は、眠っているわ」

 魔理沙がアリスと幻想郷で再開して以来、それは初めてのことだった。
 むしろ、それは魔理沙の中でかなりおかしなことだった。

「珍しいな。いつも一緒じゃないか」
「あなたにも見せたでしょう? わたしそっくりの人形。今、彼女にかかりっきりだから」

 ――わたしそっくりの人形。
 ――ドッペルゲンガーのような。
 ――鏡の世界の住人のような。
 ――アリス・マーガトロイドそっくりの、お人形。

「ああ。あの、似ても似つかないお前の人形のことか。覚えてるぜ」
「『彼女』が大切だから、今は他の子に眠ってもらっているのよ」
「……なんだって?」

 その言葉が、魔理沙のなかの違和感をふくらませる。

「お前が人形に優劣をつけるなんて、なんだ、その……らしくないな」
「使うべきときに使い、不用なら用いない。それだけのことよ」

 確かに、アリスの行動の端々にはそうした意図が感じられる。
 全ての人形に愛情を込めながら、どこか冷静に人形達を観察する視線がアリスにはある。
 だが、今のアリスの物言いは、そういった冷静さとは違っている。

「ずいぶんと、物言いが極端になったな」
「違うわ。『アリス・マーガトロイド』は、昔からこうした存在だったのよ」

 ――なら、なぜお前はわざわざ幻想郷に来たんだ?

 違和感よりも、あるのはむしろ苛立ちだった。
 魔理沙は眼前のアリスを凝視する。
 冷静な思考。
 落ち着き払った態度。
 その態度はまるで、人間でも妖怪でもなく、作り物の人形のようで――

「ああ……なるほどな」

 気づいて、頷く。
 細かいことはわからないが、おおよそは当たっているだろうと魔理沙は考えた。
 ――奥の部屋から、わずかばかりに漏れでる見知った魔力の糸。つながるのは、見知った姿の見知らぬ形。
 糸の先には、幼い頃、巨大な未来の力へと頼った少女がいるのだろう。
 今度は、ささやかな愛撫の幸せにでもすがろうとしているのか。
 だが、と魔理沙は現在のアリスを思い浮かべる。
 魔理沙が背中を預けたアリスは、元の人間くささが残っていても、あくまで妖怪だった。
 アリスは、人形を操る魔法使いだった。
 少しばかり人形に執着しすぎる、人間くさい妖怪だった。
 彼女は、人形を操る妖怪であって、人形そのものではなかった。
 過去の人形に、未来の想像に、飲み込まれるだけの存在ではなかった。
 だから魔理沙は、ため息まじりに呟いた。

「だから言ったんだ。なにかにすがりすぎるなよ、ってな」
「なんのことかしら。なにか間違っているところがある?」
「人形になったって、人形のことなんてわかるわけがない。
 まあでも、なまじ精神が強くなっちまったから、そうなっちまうのかもな。原理はわからんが」

 家に踏み入る魔理沙の表情は、硬い。
 その表情を汲み取ったのか、アリスも身を硬くする。

「たとえそれがなんなのかわからなくても、手探りでやるしかないんだよ。
 ……お前の欲しがってるのは、自分を再生産しただけの、そんなもんじゃないんだろう?」

 静かな怒りを発する魔理沙に、アリスはたじろぐ。
 たじろいで、疑問を発する。不安を和らげようとするように。

「なにを言ってるのか、わからないわ。なにを怒っているのかしら。理解させて頂戴」
「わからなくていいさ。聞きたいのは一つだけだ……本物のアリスは、奥にいるな?」

 アリスはその言葉で一瞬、無表情になる。まるで人形のような、無機質な表情へ変化する。
 だが、すぐに苦笑という表情を作り上げて、魔理沙に話しかける。苦笑という表情の形を浮かべて。

「なにを言っているの、魔理沙。わたしがアリス。アリス・マーガトロイド。そうじゃなかったら、誰だというの?」
「さあな。だが、お前がアリスじゃないことは私が保証してやる。いや、『誰』ですらないかもな」
「わたしはアリス。そう名乗り、そう存在し、そう振舞う。
 そうすれば、わたしはアリス。アリスと名乗ることを許されるはずなの。
 それを、あなたは否定するのかしら?」
「わかってないようだな。こういう時に本当のアリスなら、私に毒づいてしかめっ面をするんだ。
 お前みたいに、変に言葉を選んだりはしないんだよ」
「……違うわ。わたしがアリスなのよ。アリスが求めた、『自立』した『アリス・マーガトロイド』なの」
「違う」

 魔理沙はアリスの手をつかむ。
 細く美しい、人形のような腕を。

「アリスが求めたのは『自立』した『人形』だ。お前みたいな、母親に寄生した甘えん坊の人形なんかじゃないんだぜ」

 アリスの顔が、きしむ。

「離して」
「アリスは、お前じゃない」
「アリスハ、ワタシ」
「本物のアリスは、お前じゃない!」
「ソレハ、ワタシ!」

 『アリス』の言葉に、魔理沙は手に込めた力を強める。

「……なら、お前の手は――どうしてこんなに、硬いんだ?」
「――!」

 人形の瞳が、がたんと落ちる。
 同時に、糸の切れた人形のように、身体もくずおれた。
 つながっていた魔力の糸も断ち切られ、その身に溜められていた魔力が拡散してゆく。
 魔理沙の手には、温もりも魔力も感じられないアリスの形を模した人形だけが残った。

「……さて、諸悪の根源はどこにいるのやら」

 人形を地面に横たえ、かって知ったる他人の家の一室へと足を踏み入れる。
 魔理沙は、眠りについたアリス・マーガトロイドの姿を発見する。
 姿形に、とりあえず変化はない。若干、やつれてはいるようだが。
 手を握り、魔力の流れを感じてみる。
 少しずつ、人形へ渡していた魔力が内に溜まりはじめたのか、回復する兆しがあった。

「やれやれ……」

 呟いて魔理沙は手を握ったまま、アリスが眼覚めるのを待つことにした。
 柔らかな彼女の温もりを、手の中で感じながら。






  ―― 「人の形弄びし少女」 ――



 数刻の後、アリスはゆっくりとまぶたを開く。

「とりあえず、本物か?」

 魔理沙の問いかけに、アリスは視線をそらす。
 気にせず、魔理沙は言葉を続ける。

「鏡ばかり見ているから、自分しか見えなくなるんだ」
「余計なお世話よ」
「見えない背後が怖けりゃ、誰かに見てもらえばいいじゃないか。鏡に映るのは、お前だけじゃないだろ?」
「余計な……お世話よ」
「それにだ。お前は人形を、作る方なんだろ。人形みたいな頃に『戻って』、どうするんだよ」
「余計な……」

 口ごもる。
 魔理沙の言葉に含まれた、一瞬の響きのために。

 ――戻りたかったわけではない。
 だが、すがりたかったのも事実なのかもしれない。
 完全など無いと知らなかった、幼いあの頃。
 母のために娘として作られた、過去の『アリス』。
 幸せだけを見ていられたあの頃へ、戻りたかったのかもしれない。
 『自立』『人形』を求める自分を、人形に押し付けて。
 『人形』を作りたいという願いだけを持って、過去の幸せな人形の頃へと――。

「……」

 物思いに耽っていたアリスが、魔理沙に眼を向けて口を開く。

「彼女は?」

 身を起こすアリスへ、魔理沙は心配そうな瞳を向ける。

「おい」
「大丈夫。……もう、彼女が動くことはないわ」

 アリスの答えを聞いて、しかし魔理沙は納得はしない。
 口を開くのは、その表情を和らげるため。

「大丈夫よ。彼女は、わたしでもなんでもない。ただの人形。アリス・マーガトロイドを模して作られた……自律すらできなかった人形」

 そう言葉にすることで、魔理沙と自分を納得させる。
 魔理沙は黙々として立ち上がり、アリスを招く。彼女を模した人形の元へと。
 アリスが自分の似姿を抱き、魔力の連結を完全に断ち切り、保管庫で人形を眠りにつかせるまで、
 魔理沙は口を開くことはなかった。
 ただ静かに、二つのアリスの姿を見つめていただけだった。
 全てを終えたアリスは、魔理沙をテーブルにつかせる。
 客人――恩人、となるのだろうか――をもてなすのは、アリスの流儀だ。

「上海。蓬莱」

 かけ声とともに、人形達が動き出す。
 静寂に支配されたアリスの家が、静かな音を取り戻していく。
 台所の音、整理の音、人形達が駆け回る音。

「そっちのほうが、らしいぜ」

 人形を操るアリスに、魔理沙は慰めをかける。
 だが、今のアリスは、その言葉をそうは受けとれない。

「この子たち、いい子よ」

 上海と蓬莱を肩に呼び寄せ、止まらせる。
 微笑む二体の人形に、アリスも微笑みかける。
 どこか乾いた微笑みで。

「でも……わたしと人形の区別すら、できなかった」

 アリスの呟きに、二体の人形は困惑する表情を作る。
 主の魔力から、そうした表情を作るさいの流れが伝わってきたのだろう。
 困惑、失望、落胆。
 人形達は、正直だ。アリス・マーガトロイドの魔力を、しっかりと受けとる。

「わたしがそうするように手がけたのだから、そうするしかないんだけれどね」

 自嘲するようなアリスに、二体の人形が心配の眼差しを作る。
 上海と蓬莱だけではない。
 この場に存在する、アリスの魔力が伝わる全ての人形が、心配の表情をアリスに作る。
 そしてアリスには、どの人形がどういう眼差しをしているか、全て把握している。
 見るまでもない。確認するまでもない。知っているのだから。
 彼女たちを作り操っているのは、人形遣いであるアリス・マーガトロイド。
 アリスと人形達の一時は、なにもかも、アリスが造りあげた以上のものを現しはしない。

「……それがお前の、魔法じゃないか」

 魔理沙は、言葉を変える。
 慰めではなく、事実のみを指摘する。
 その言葉に、アリスも無言で肯定する。
 愛しげに、周囲の人形に視線を向けながら。

「ええ。そうよ。……人の形を、弄(もてあそ)ぶ。わたしという自我のために、ね」
「慰めか?」
「違うわ。糧よ」
「なら、自分を食えば自分が亡くなるってわけだな。簡単な結論じゃないか」
「そんな簡単なことすら、確かめずにはいられない。知識と体験は、異なるものだから。微妙な誤差が、わたしの目標を遠くしていく」
「その誤差が、たいして役に立たなくてもか?」
「その誤差が、わたしと彼女の決定的な差になるかもしれないわ」

 魔理沙は、アリスから眼を逸らして呟く。
 遠い、今は見えないなにかを見上げるように。

「全力でやれば、それでいいじゃないか」

 魔理沙の言葉に、アリスは小さく眉を寄せる。

「……違うわ。一点を目指すことじゃないの。
 欲しいのは、個々の誤差。わたしが求めるのは、その誤差を見極めて、わたしでない『彼女』を作りあげること。
 全力じゃ、むしろいけないの」

 魔理沙は、少しばかりの皮肉を込めて、言葉を返す。

「その『彼女』は、いったいどこの『誰』なんだ?」

 向けられた眼差しをしっかりと受けとめ、アリスは口を開く。

「『彼女』は、わたしから生まれて、けれどわたしでない……『自立』した『人形』。
 わたしを介することなく、自分の身を自立させ、自己の意思を自律し、自身で『自立』してゆくことができる『人形』」

 アリスは、そこまで言って気づく。
 その『彼女』を求める理由を。

「そう、『彼女』を作り上げて……わたしは――」

 ――わたし、は……――
 ――。
 ―。

「……」
「……?」

 魔理沙が怪訝な表情を浮かべたのは、アリスが途中で口をつぐんだからだ。
 アリスは、その言葉を形にする前に、口を閉じた。
 その想いを表す言葉は、しかし言葉にしてしまえば、ひどく幼稚で刹那的なものでしかない。
 口を閉じたのは、そんな最後の想いを形にするべきものが、言葉ではないことに気づいたからだ。
 形にすべきものは『人形』であって、誰かに理解されようと願う独白ではない。
 アリスはそれゆえに、それ以上の言葉を閉じた。
 誰かにすがっても、それが形になることはないのだから。
 黙したまま、アリスは下へ視線を落とす。
 次の言葉を続ける気には、なれなかった。
 魔理沙は怪訝な顔のまま、そんなアリスを見つめている。
 少しばかりして、アリスへの興味を失ったのか、その表情を消して椅子に背を傾ける。
 新たに傾けた視線は、天井の方向ではあったが、どこか遠くを見つめるような眼差しだった。
 暗い床へ視線を堕とすアリスと、天井の先にあるだろう空を見つめる魔理沙。
 一妖と一人の魔法使いは、眼を合わせることなく、ここでないなにかを見つめている。
 静かに、時計が針の音を刻む。
 紅茶の香りに包まれた時間が、静かに流れていく。
 沈黙が続く時間、それを破ったのは魔理沙のほうだった。

「さて、私はそろそろ帰るとするぜ。用事もあることだしな」

 カップを置いて、立ち上がりながらアリスへ帰る旨を告げる。
 アリスは冷めた表情で、魔理沙に受け答える。

「あいも変わらず、忙しいのね」
「ああ。一癖も二癖もある奴らだからな。そんな宴会の幹事は大変なんだ」
「そう……」

 ゆっくりとドアを開けて、魔理沙は立ち止まる。

「お前もくるか?」
「え?」

 背中越しの魔理沙の声。
 少しばかりの驚きを、アリスは顔に浮かべる。
 見上げれば、陽気に微笑んだ魔理沙の顔。

「酒の一つでも飲んで、私達と一緒に大騒ぎすれば、厄介ごとも軽く見えてくるもんだぜ」
「……」
「まあ、嫌ならいいが」
「……飛び入りは、受け付けてるの?」

 立ちあがりながら少し不安げに、アリスは魔理沙へ問う。
 魔理沙は笑みを深くして、しっかりと受け答える。

「むしろ、大歓迎だぜ」

 魔理沙は、ゆっくりと手を差し出す。
 差し出されると同時、ゆっくりとアリスも足を踏み出す。
 伸ばされた魔理沙の細腕を見つめ、アリスもまた自身の腕を持ち上げる。
 どうしてか、いつもより頼もしく見える魔理沙の手。
 微笑んで、アリスは愛しげに彼女の手を――

「なら、お願いするわ。幹事さん」

 ――華麗にかわして、肩をポンと手で叩いた。
 呆気にとられる魔理沙の脇をすりぬけ、アリスは博麗神社の方向に飛び上がる。

「……あそこは、手を握るところじゃないのか? こう、物語的に」

 アリスへと追いついた魔理沙が、愚痴っぽく呟く。

「そこまで操られてたまるもんですか。自分にも他人にも、もちろんあんたにも」
「物語の原則には従えよ」
「あんたが言ったのよ。わたしは人形を操るもので、人形じゃないんだって」

 納得したように、アリスは魔理沙へ口を開く。

「そう。わたしは、人形になりたいんじゃない。人形を、作りたいのよ。自分じゃない、『自立』した『人形』を」

 ――人形に似た、自律して自立し続ける、独りでも消えない『自立』した『人の形』――

 それはもう「アリス」でない、「アリス・マーガトロイド」という存在への変化。
 それはもう「娘」でない、「母」という存在への成長。
 それはもう「人形」でない、「人の形」という存在への安心感。

 眼の前の人間に対する、魔界の神に対する、そして自分自身に対する、「アリス・マーガトロイド」のささやかな回答。

「そう……わたしはアリス・マーガトロイド。それ以外の、誰でもないわ」

 微笑むアリスに、月光がよく映えた。

「当たり前じゃないか。……まったく、しょうがないやつだぜ」

 魔理沙も苦笑して、しかたがないなとばかりに頷(うなず)いた。






  ―― 「魔法の国の人形遣い」 ――



 その少女は、魔界の神の娘という、魔界人の形を持って生まれた。
 神である母から、その被創造物の娘として、その生を授かった。
 確定した存在として生まれた少女は、母を疑うことなく、人形であり続けた。

 しかしある時、少女のなかに異常が発生してしまう。

 少女は、人間という不完全さに敗北した。
 不完全であることを諦めない、変わりゆく力に、完全であった少女の中でなにかが崩れた。
 母から定められた力。
 または、母が禁じた力。
 それらを用いても、少女は同じ人間に敗れた。
 母の言うままに信じていた力が、不完全な力の前に崩された。
 自身もまた、不完全な魔界の人であるという事実にも、心が揺らいだ。
 生まれた違和感に、少女はとらわれる。
 目の前の風景が、心の中の心象が、音もなく崩れてゆく。
 滲みだす、癒されぬ傷跡。
 ――ゆえに、少女は人形という禁忌を侵す。
 神に裏切られた、そう想いこみ。
 そう想いこむ事で、自己を納得させ。
 人形という、操られるその身を振り払おうと信じこみ。
 彼女は、生まれでた悲しみという欺瞞を喜びにするために。

 ある魔法にとらわれる。

 人形を作り続ける人形は。
 『幻想』の『人の形』を求め続ける。

 決して完成しない、理想の『誰か』を求めて。
 アリス・マーガトロイドは、禁忌を侵し続ける。

 死の少女として生まれてしまったために。
 魔法の国にとらわれながら。
 七色の人形を操る人形遣いとして。
 人の形を弄び続ける。

 かつての『幻想』と、その国に住む『人の形』を、新たに自身の手の中に、求め続ける。

 人と神と魔法の狭間で。
 孤独を恐れる、寂しがりの心を隠しながら。
 たった独りきりの、『人形』として。