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■   幻想の人の形   ■

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 集中していた意識が途切れる。
 アリス・マーガトロイドは、その原因の方向へ眼を向ける。
 上海人形がちょこちょこと動きながら、ティーカップの乗ったソーサーを机に置いたところを視界に入れる。
 置かれたカップから漂うのは、暖かく優しい紅茶の香り。

「ありがとう上海」

 アリスが礼を述べると、上海人形は喜びの意を表情に表す。
 ある一定の反応に対して行われる、組み込まれた魔法の法則の一端。
 上海人形の笑顔は、その身が人形であるのと同じように、そうあるように造りこまれたものだ。
 上海人形がそう行動することが、主であるアリスにはわかっている。
 それでも、自身の思いがこもったものが反応を返すのは、嬉しいものだった。
 カップを手に持って、アリスは紅茶を一口含む。
 アリス好みの甘さと温度の紅茶が、喉元を下っていく。
 アリスが上海人形へ、自身の嗜好や習慣を事細かに記憶させた結果だ。
 自分の作った人形に労わられるのは、それが予測として組みこまれた行動だとしても、アリスには落ち着くものだった。
 一息ついてカップをソーサーに戻し、視線を読みかけの本に再び戻す。
 ページをめくりながら、思いついたように筆記具を持ち、それを別の白紙本に走らせる。
 音のない部屋で黙々と、アリスはその作業をさきほどから続けている。
 止まっては進み、訂正し、少しずつ、思い描く理論を紙の上で形にしていく。

「……ふぅ」

 だが、それは上手く思考と理論が運べればの話。
 本と筆をおき、椅子の背に寄りかかり、アリスがため息をついたのは、そう後のことではなかった。

「うまくいかないのは、わかっているのだけれどね」

 研究は概して、遅々として進まないものだとアリスは知っている。
 むしろ成功しないことのほうが、失敗することの数百倍も多い。
 だからこそ結果が生まれるのだし、肩肘を張っても仕方がないことも経験上わかっている。
 だが、それも続くと不信感が芽生えてくる。
 未だに迷いやためらいがあるのは、その身が魔界人だった時の名残ゆえか。それとも自身のみの特徴なのか。
 魔界をなかば飛びでるように旅立ったアリスには、それを問う相手は近くにいない。
 本棚を見つめれば、魔界から持ってきた本が整然として並べられている。
 気分転換にそれらの書に眼を通そうかとも思えたが、理解できる書はあらかた読み終え記憶してしまっていた。
 それ以外の、例えば今読んでいる、母からこっそり渡してもらった秘蔵書などの解読は難解すぎてなかなか読み進めていない。

「……はぁ」

 再び、ため息をつく。
 問題なのは研究が難解なことではなく、ふと訪れるこの不信感だ。
 だから、ため息もつく。

「もう、昼なのね」

 必要なのは気分転換なのかもしれない、とアリスは考えなくもなかった。
 時間の移り変わりに疎いのは、全力をよしとしない自分には似つかわしくない。
 それほどに、魔法使いであるアリス・マーガトロイドに、アリスは集中していた。
 だから、と考える。魔法使いとしての自分ではない、場所と時間が必要なのかもしれない。そう考える。

「けど、一緒にランチをとってくれる相手も知らないしね」

 気をおかない居心地の場所を知るほど、彼女はまだ幻想郷に慣れていない。
 魔界から幻想郷に移住してきて、アリスはまだ日が浅い。
 知り合いも少なく、その知り合いも口喧嘩が付き合いのような相手ばかりだった。
 当然、無理に同伴してくる以外、共に食事をする気はない。

「仕方ないわね。上海、蓬莱、みんな」

 アリスの呼び声に答えて、人形達がいっせいに動き出す。
 用意された食卓で、アリスはゆっくりと独りきりのランチをとる。

「誰かと一緒に、か」

 呟いて、アリスは再び考えをめぐらす。
 ここ幻想郷には、アリスの研究の参考になりそうな、変わった妖怪がたくさん住んでいる。
 自身の眼で見たもの、図書で知ったもの、感知できる範囲内で気づいているもの。
 それだけでも、この地はかなり特殊な場所なのだとアリスは知ることが出来る。
 同一の魂がほとんど存在しておらず、なおかつ多種に恵まれた土地。
 アリスは初めて幻想郷に来たとき、同一の魂から作られた自身の故郷との違いに、驚いたものだった。

「いいわ、みんな。後、お願いね」

 食器をまとめて立ち上がり、再び自室への扉をくぐる。眼に入るのは、自身の故郷から持ってきた知識の泉、魔法書の数々。

「これも、これも、これも……あらかた読んでしまったわね」

 アリスの故郷は魔界と呼ばれており、彼女の母がその世界の全てを作り上げた。
 魔界の神とも呼ばれる母や、母の生み出した家族のいる故郷は、アリスにとって居心地のいい場所だった。
 だからアリスは、幻想郷へやってくることを決めた。
 故郷で母から学ぶこと、それでは母の域を越えることが決してないと思えたからだ。

「……」

 幻想郷にやってきて、アリスは『自立』する人形の研究を始めた。
 自立した意思と自律した思考を持つ、『自立』人形を作ること。研究の目的をそこに定め、アリスは日々をすごしている。
 だが、とアリスは時々考える。
 それは結局、主(あるじ)にとっては人形にしかすぎないのではないかと。
 どれだけ人形が『自立』したと叫んでも、主(あるじ)にとって人形は人形でしかないのではないのか。
 自分の生み出した人形、という視点を主(あるじ)は持ち続けるだろうから。
 逆に、自律した魂を人形に組み込めたとしても、人形は自身を『自立』したとはたして思えるのだろうか。
 主(あるじ)に生み出された人形、という視線を『自立』人形ができないはずないのだから。
 それらを夢想し、アリスの思考は膠着(こうちゃく)する。
 人形。それは人の形。それは人の形をした以上のものではない。
 だがアリスの求めているモノは、人形でありながら魂と自覚を持っている存在なのだ。
 ならば人形が『自立』するという考え自体、思い違いなのではないだろうか。
 それはもう人間であり妖怪であり、母によって作られた自分という存在ではないのだろうか。

「……ん」

 『自立』ということにどこかで憧れていることを、アリスはおぼろげに感じていた。
 ただそれは、母を越えるという意味での自立という考えではないはずだった。
 ならば、自分が求めている『自立』とは一体なんなのだろうか。

「……どうしたの、みんな?」

 見れば、上海人形や蓬莱人形が心配そうな顔をしている。
 それだけではない。二体に限らない人形達が、アリスを心配そうな瞳で見つめている。
 沈み込んだ顔でもしていたのだろうか。
 人形達の表情を見ていると、アリスは悩ましい気分になる。
 人形に労わられるということは、今の自分はそれほど疲れているということかもしれない。
 アリスの心中は、先ほど上海人形の気遣いに喜んだ時と異なり、少々暗くなった。
 人形は嘘をつかないと知っているからだ。

(……考えが、しっかりしないからね)

 カップを手にとり、紅茶を口に含む。
 さきほどの紅茶とは気づかず、冷たい流れがアリスの喉下を滑り落ちる。
 暖かさを失った紅茶は、湿った気分を癒しはしなかった。

「……ああ、もう!」

 思わず、理由のない苛立ちの声を上げる。理由はあっても、突然すぎて、脈絡がない。
 しかし、今の状況が心理的な悪循環だとわかっていても、アリスには抜け出る方法が思いつかない。
 憂鬱なため息をアリスが再び吐き出したところで、ドンドン、とドアを叩く音がした。
 玄関から鳴っているその音は、少し離れた研究室にまで響いてくる。
 その音を聞いて、アリスは苦虫をかんだような表情を浮かべた。
 魔法の森に建つこの家を訪ね、こんなドアの叩き方をする、そんな相手はアリスの知る限り一人しかいない。
 だからこそアリスは、苦虫をかんだような表情を浮かべるしかなかったのだ。
 資料をそのままに、研究室を後にする。
 玄関に手を添えて、開けずに放置してしまおうかとも一瞬考える。
 だが無視すれば、ドア向こうの相手は何をするかわからない。
 仕方ないとばかりに、アリスはドアを開ける。

「ようアリス。お客を待たせるのは無礼だぜ」

 黒い帽子をかぶったエプロンドレスの少女――霧雨 魔理沙――が、待ちくたびれたように玄関前にたたずんでいた。

「入る前は呼鈴(よびりん)を鳴らすように。そう何度も言ったはずだけど?」

 魔理沙はアリスの意見に対して、帽子のつばを持ち上げながら不適に微笑む。

「細かいことは気にするな。ドアを叩くほうが、音が大きくてよいじゃないか」
「ドアが傷つくから止めて、ってことも何度か言ったわね。それに、呼鈴のほうが的確だってことも」
「ああ聞いてるぜ。納得することとは別問題だがな」

 だから私はドアを叩くんだ、とでも言いたげな魔理沙の表情。
 ドアを修理する人形でも作ろうかしら、それとも魔理沙を感知したら怯える人形のほうがいいかしら、
 などと思うアリスの心中を無視して、魔理沙は言葉を続ける。

「今日も元気にひきこもりしてるのか?」
「嫌味を言いにきたのなら帰りなさい。今のわたしはあまり機嫌が良くないのよ」
「そうかそうか。それは好都合だ」

 なにが好都合かと問おうとしたが、止めた。相手の言葉に乗っていれば無駄に話が長くなるだけだ。

「用件を言ってくれないかしら」
「図書館へ本を借りに行くんだが、一緒に行かないか?」

 眉を寄せて、意味を問う。
 ここ幻想郷に、知識をそのように総括する場所があるのだろうか。

「図書館? 人間の里にでもあるのかしら」
「違う違う。人間の手じゃ扱えない、いかにもな図書館だぜ」

 寝耳に水な魔理沙の話。
 驚くアリスに、魔理沙は微笑みかける。

「はじめての図書館ってやつだ、きっと気に入ると思うぜ。色々な意味でな」



∽∽∽∽∽∽∽∽



「……不法に侵入しているように見えるんだけど、わたしの気のせいかしら」

 図書館の扉を前にして、アリスは魔理沙の背中へ呼びかける。
 くるりと振り返った魔理沙は、微笑しながらアリスの言葉を一蹴する。

「なにを言ってるんだアリス。さっきの門番も快く私たちを受け入れてくれたじゃないか」
「ただの跳び蹴りにマスタースパークを放てるあなたは素敵だと思うわ」
「照れるぜ」

 そもそも迎撃してきたんじゃないかしら、あれって……とアリスは考える。
 皮肉として魔理沙に指摘しようかと考えたが、さきほどの女性を助けなかった自分に言えたものではないなとも感じたので、
 アリスはため息をして口をつぐんだ。

「さっきからため息ばかりだな。なんか疲れるような研究でもしてるのか?」

 魔理沙なりに気を使った問いかけは、今のアリスには皮肉にしか聞こえない。

「おかげさまでね」
「そうか。まあ、今から行く場所ならその憂鬱もまぎれるかもしれないぜ?」

 まるで自分の家へと招くような言い方で、魔理沙は図書館への扉を開けた。
 憂鬱を増やした原因が何を、と思いながらアリスは魔理沙とともに扉をくぐる。
 そうしてアリスはその身を扉にくぐらせ、絶句した。
 薄暗い室内、換気のしききれていない空気、そして押しつぶされそうな暗闇からの圧力。
 並び立つ本棚、棚に押し込まれた本の列。二つの瞳では到底把握しきれない、本、本、本の群れ。
 魔界にいたときに母の書庫を覗かせてもらっていたが、それと同等か、もしくはそれ以上の規模の図書館だった。
 棚の間を進みながら、アリスは収められた本の列へ視線を走らせる。
 本の列を彩るのは、魔界でも見たことのない書名の数々。
 それらが名のある書だということは、こぼれでる魔力や風格から感じとることができる。

「……すごいわね」

 漏れ出たのは、関心の呟き。

「ああ、私も始めてきたときは驚いたぜ。思わず、後でさっくり貰っていこうと思ったくらいだ」

 魔理沙の不穏当な発言に顔をしかめるアリス。
 やりかねない。目の前の黒白なら、それくらいやりかねない。
 すでに目ぼしい書を見つけたのか、二、三冊の本を本を手に持っているこいつならやりかねない。
 そんなアリスの視線に対し、魔理沙が口を開こうとしたときだった。

「また来たの」

 アリスの背後から、声が聞こえた。
 ふりかえるとそこに、紫髪の少女が一人立っている。
 ひどく不満げな顔つきは、そうなる原因があるのか、それとも生まれつきのものなのか。
 初対面のアリスには、そのあたりが判別できない。ましてや見知らぬ者の機微を読み取るのは、あまり得意なほうではない。
 だが少なくともさきほどの口調は、親しみを持っているとはいえなかった。
 少女の言葉に、魔理沙が答える。

「ああ。また借りに来てやったぜ」
「借りに来るなら返してくれないかしら」

 知り合いらしい二人の間にアリスは挟まれ、少しばかり居心地が悪かった。
 紫髪の少女は怪訝そうな表情を浮かべて、そんなアリスに視線を移す。

「彼女は? あなたの泥棒仲間かしら」
「心外な。アリスはただの寂しがり屋だ、私と一緒にするんじゃないぜ」
「否定するのはそこじゃないわ」

 魔理沙のズレた返答と、紫髪の少女が発した言葉にアリスは気を悪くする。

「初対面の相手に泥棒と呼ぶなんて心外ね。そういうあなたはどちらさま?」

 どうやら彼女の不機嫌の原因は、自分達にあるらしいのはわかる。
 しかしだからと言って、いわれのない濡れ衣を押し付けられるいわれもない。
 そうしたアリスの不満を感じとっているのかいないのか、表情を変えないままで紫髪の少女は口を開く。

「この図書館の主、パチュリー・ノーレッジよ」
「別名、紅魔館の居候だぜ」

 なるほど、とアリスは納得して会話を続ける。

「ノーレッジさん、なぜわたしと魔理沙が泥棒になるのか説明していただけるかしら」
「そこの黒白は私の図書館から本を奪っていくのよ」
「奪う? 本の貸し出しのことかしら」
「違うわ。言葉どおり、奪っていくの。強奪、略奪、窃盗、泥棒……諸々ね」

 事態がわからないアリスに、同伴の魔理沙はその身の潔白を訴える。

「借りてるだけだぜ、図書館で本を借りるのは当たり前じゃないか。アリス、だまされるな」
「本を貸さない図書館もあるのよ。そういう問題じゃないけど」
「ちょ、ちょっと待って?」

 二人の言い分が食い違っていることにちょっと混乱した後、アリスはもう一度パチュリーに問う。

「魔理沙が泥棒? わたしは図書館に本を借りに行くんだって聞いたんだけど」
「そうだぜ、まったく。死んだら返すって言ってるじゃないか」
「よって返却カウンターに彼女が来たときは、今まで一度もないわ」

 ……。
 一瞬、脳内で言葉を整理。後、両者を見比べる。
 隣では、話している間にも新たな本を手元に集める魔理沙の姿。
 正面には、腕を組んで不快の表情を浮かべる図書館の主。

 ――『後でさっくり貰っていこうと思ったくらいだ』――

 魔理沙の言葉が脳内で再生される。

「……ああ、なるほどね」

 ジャッジ。
 つまりはあれね、とアリスは思考して結論する。
 全ては始まりからして間違っていたのだと。

「事情はわかったわ、ノーレッジさん。そうね、この書庫を目の前にして魔理沙が黙ってるわけがないわよね」

 本を借りにいく、という言葉は魔理沙が発した言葉だ。それはつまり、魔理沙の価値観のなかでの『借りる』であるわけで。
 確かに人間の寿命を妖怪の視点で見るとき、その長さは、人間が人間から本を借りる程度の期間しかないかもしれない。
 だがそれを堂々と『借りる』という口実に使う人間がいるとは、アリスも思っていなかったのだ。
 同情するようなアリスの様子を察して、パチュリーは多少口調を和らげて言う。

「……もしかして、あなたもそこの黒いのに迷惑をかけられているたちかしら」

 うなずきではなく更なるため息なのが、よりいっそうの共感をパチュリーに呼んだ。
 どことなく親愛がにじみ始めた二人の様子を横目に、魔理沙はぽそりと呟いた。

「なんだ、やっぱり寂しいんじゃないか。……もう一人のほうは予想外だったけどな」

 この後、しっかりと内容を聞き取られた二人に魔理沙は軽い弾幕を浴びせられることになったのは余談である。



 魔法使いや魔女と呼ばれる種族は、みなティータイムを好むのか。
 図書館の一角にあるテーブルに腰掛けて、アリスはほのかな温かみを匂わせる紅茶を口に含む。
 自身の人形が入れたものより、味わい深い。

「魔界、という場所から来たの。物好きね」

 気づかないうちにたたずんでいた銀髪のメイド――確か、十六夜 咲夜といったか――に入れられた紅茶を同様に口に含みながら、
 パチュリーはアリスにそんな言葉を投げる。

「ここにあなたの求めるような知識があるのかしら」

 疑問とも、興味とも、ただの投げかけともとれる、感情のない音の羅列。
 確かに彼女は図書館の司書、知識の泉の主かもしれないとアリスは思う。

「この、図書館は凄いわ。魔界の神である神綺様のものと比べても、遜色はないと思うし……」

 賞賛の言葉を作るアリスへ、パチュリーは口を挟む。「ここ」と言ったのは、決して目の前の光景のことではないから。

「幻想郷へ、という意味よ。ここは特別、あなたの扱う魔法に関して発達している土地とも思えないけれど」
「そうかも、ね。けど……」

 一度はうなずき、そしてアリスは個別の答えを編もうとする。

「……ねえ、なにか爆発音が聞こえるんだけど気のせいかしら」

 しかしその前に気になってしまったのは、妙な魔力の流れが図書館に生まれていることだ。
 あえて話をとぎらせて、アリスは聞いてみる。
 どうにもマジックミサイルっぽい魔力を感じるアリスであったが、その点は伏せる。
 魔力感知など、目の前の魔女なら造作もないだろうから。
 しかしそれよりなにより、自分の連れが暴れているんじゃないかしら、なんて話題は口が重くなってしまう。

「うちの使い魔が魔理沙にちょっかいをかけたんじゃないかしら。
 あの子もイタズラ好きだから、遊び相手がいて良いんじゃないかしらね」

 やっぱりお手の物的にわかっていたようだ。どうやら、アリスが思うほどには力のある魔女のようだ。
 図書館の現状を察知するパチュリーの顔は、アリスにはとても不機嫌に見えた。
 平静な口調と、一定の速度で頁をめくる指先。一見してパチュリーに変化は起きていないように見える。
 けれどアリスには、彼女の機嫌があまりよろしくないことをなんとなく察することができはじめた。

「人形、ね」

 見つめていたパチュリーが発した呟きに、アリスは話題を引き寄せる。

「わたしは人形の研究をしているわ」
「それはさっき聞いたわ。二度、同じ文章を読むのはよほどでない限り苦痛ね」
「先ほどあなたは使い魔のことに触れたわね。それは、例えばホムンクルスであったりするのかしら」
「それは錬金術のテリトリーね。わたしの使い魔は、小さいけれどれっきとした悪魔の者よ」
「魔女は使い魔を召還し、使役する。それは、元から存在する相手を自身に従わせているということなのかしら」
「小悪魔に関しては、そういうことになるわね」

 一泊おいて、アリスは話を再開する。

「あなたは、興味を持ったことがないかしら」
「なにに対してかしら」
「元から存在しない魂を作りだし、『自立』させることに対して」

 パチュリーの指が、頁をめくることを止める。
 ゆっくりと視線をアリスに向け、口を開く。
 無表情に、淡々と。

「新たな命を作り出すことなんて、どんな存在にも不可能だわ。
 神でもない限りね。
 それ以外の者に可能なのは、存在そのものを別の存在に変化させることくらいかしら」
「……あなたの言い方では、人形は人形のままでしか、人形と呼ばれないかのようね」

 頁をめくっていた指先を、ゆっくりとアリスの肩先へと移動させる。

「あなたの言う人形が、今あなたの肩に止まっているような人形を指すのであれば、
 『自立』した人形は、それとは別個の『人形』なのは確実ね。
 つまり、あなたの定義をしっかりしなければ議論なんてそもそも成立しないわ」

 上海人形や蓬莱人形に流れ込むアリスの魔力を感知して、パチュリーはそうした言葉を選ぶ。
 眼に入る二体の人形しか、パチュリーはアリスの成果を知らないのだ。
 つまり、アリスがなにを求めているのか、それ以上の類推をすることなど出来はしない。
 アリスは、心中の目的を言葉にして形にする。本来は、好むことではないのだが、仕方がない。

「……わたしの意志を介入することなく、自立した意思を持ち振舞うことができる人形。それがわたしの求める人形。この子達は……」

 そっと肩の上海人形を右手に差し招く。上海人形は笑顔を浮かべながら、ゆっくりとアリスの細い腕に飛び移る。

「わたしの意志、魔力が常に介入している。
 わたしが求めているのは、わたしを介することなく『自立』し、自分を律する独自の意思を持ち、個有の魔力を保持し持続する。
 そういう人形への興味」
「答えとしては半分ね」

 怪訝な表情を浮かべるアリスに、パチュリーは呟く。

「あなたはどちらも人形という単語を使っている。なら、どちらも同じ人形でしかない。
 けれどあなたが求めているのは、今の人形ではない特別な『人形』なのでしょう?」
「そうね。特別な、『人形』のことね。この子達とは異なる『人形』を作りたい」
「ならばわたしの意見は変わらないわ。それは不可能ね」
「なぜかしら」
「それはもう人形ではないから。それはもう人間や妖怪ね、なんてステロタイプな答えをしているのではないわ」
「では、なにかしら。わたしの求める『人形』は、あなたにはなにに見えているのかしら」
「あなたが求めているのは、あなた自身と同じもの、もしくはあなた自身ではないのかしら」

 アリスの耳に、パチュリーが本を閉じる音が大きく響く。
 図書館の騒動は沈静化したのか、音のない静かな図書館がその場に現れていた。
 穏やかで巨大な静けさに飲み込まれぬため、アリスは静かに口を開く。

「ノーレッジさん。残念だけど、わたしには鏡像を愛でる趣味なんてないわ。
 それにあなたの考えは、今のわたしを立脚点にしているように感じる。
 この人形を作ったわたしを基点として、あなたはわたしの求める特別な『人形』を不可能だとしていると感じる」
「あなたの結果がその人形なら、そこから導かれる考えをわたしは述べることしかできない。
 特別な『人形』のモデルはあなたで、『自立』させたいのは人形ではなく自分ではないかしらと思うしかない」
「違うわ。わたしは、『自立』した『人形』を求めている。
 『彼女』は、わたしから最も遠い場所にいる。なぜなら、今のわたしには作りえないから。この人形達の、先にあるものだから」
「先?」
「この人形がわたしの全てではないし、これからのわたしでもないということ」
「未来はわからないということかしら。それは、当然ね。
 けれどあなたには、魂を作る力も、吹き込む力もないでしょう」
「否定しないわ。わたしにできるのは、人形を操ること。魔法の一環として」
「それを作りあげることができるのかしら。
 魔法として、あなたは身につけることができるのかしら。
 種族としてあなたが持っていない力を、擬似的にでも」
「魔法は、常に術者オリジナルであること。それはわたしが最も気にいる考え方だわ。
 それに、実った結果は偽者じゃないわ。例え擬似でも、それは形として残る」
「なら、どうして今の人形では満足できないの? あなたは、自律しているように見せかける人形の手段を確立している」
「わたしが、人形が『自立』していないことを知っているから。
 それは特別な『人形』ではないわ。そう見えているという人形は、そう見えているという人形なのよ。
 わたしが求めているのは、わたしから『自立』しても『人形』として形を保てるものなの」

 そう話すアリスに、パチュリーはぽつりと呟く。

「……あなたは、まるで」

 そこまで言って、パチュリーは口をつぐむ。

「まるで、なにかしら」
「いえ、なんでもないわ」

 怪訝な表情を浮かべるアリスだが、あえて相手の言葉を掘りかえすようなことはしない。話題を変えて、会話を続ける。
 二転三転しながらも、再び人形と魔法に関しての意見交換。自身の研究結実のために、パチュリーと会話を進めるアリス。
 『自立』人形の作成を目標とすると語るアリスの言葉は、知的で、冷静で、隙がない。
 だがわずかに本音を隠しているところが、言葉の端々から伺(うかが)える。
 パチュリーは先ほど止(とど)めた言葉を、心の中で呟いた。

(あなたはまるで、人間みたいな時間のすごし方をしているのね)

 まだパチュリーは、アリスが魔界人から魔法使いへと生まれ変わったことを知らない。
 魔界人が、人間とよく似た形をしていることも、パチュリーはまだ知らない。
 人の形を求める、人間に良く似た、人形を操る魔法使い。
 そんなアリスへ、パチュリーが自身の内心を告げることはしなかった。
 告げる必要もなく、彼女は気づく――気づいているのかもしれない――だろうと、パチュリーには思えたからだ。

(……人間よりも長い時を生きる存在が、そこまで明確に『自立』した『目標』を持って時間をすごすのも難儀なことね)

 紅茶を含みながら、パチュリーはそんなことを想った。



 ――その後もアリスはパチュリーと知的な午後の語らいをしながら、案外にパチュリーの表情が多彩なことに気づいたりもした。
 そうした一時を、二人が過ごしていた時だった。

「おお、仲良くやってるな」

 会話にわりこむ闖入者の声が、二人の耳に届く。
 どさりどさりと両手の本を机にのせながら、魔理沙は疲れ気味の背中を椅子に預けた。

「ずいぶん派手にやったようね」
「小悪魔は頑張ってたぜ?」
「でしょうね」

 諦め半分、呆れ半分といった表情をパチュリーは浮かべる。迷惑と親切は紙一重だな、とアリスは場違いな感想を思ったりもした。

「途中でフランが混じってきてな」

 フラン、という単語でパチュリーの表情から『呆れ』の文字が消えたようにアリスには思えた。
 諦めきった表情で、皮肉気にパチュリーはぽつりと呟く。

「図書館の場所、移転しようかしら。例えば異空間にでも」
「おいおい、利用者を無視してもらっちゃ困るぜ」

 パチュリーのジト眼も、微笑む魔理沙にはなんの効果もなさそうだった。
 そんな光景に、どうしてか、アリスはくすりと音のない笑いを漏らしてしまう。
 一人の魔法使いと一妖の魔法使い、そして一妖の魔女のお茶会は、知らぬ間に夕刻まで続く穏やかな時間となっていった。



「ありがとう、ノーレッジさん。参考になる意見を聞けたわ」
「そう。わたしは読書の邪魔をされて困ったけれど」
「会話中は、読んでなかったわよ」

 苦笑するアリスは、パチュリーへ向かって提案する。

「ねえ、今度からはパチュリーって呼んでもいいかしら」
「理由を聞かせてもらえるかしら」
「ノーレッジさんって、しまらないわ。パチュリーって言ったほうが、らしいじゃない」

 パチュリーはよくわからない理由だと思ったが、紫(むらさき)とかディープパープルとか呼ばれるよりはいいかと思い、うなずく。

「そうね。じゃあ、わたしもアリスって呼ばせてもらうわ。マーガロイドなんて舌噛みそうだから」
「マーガトロイド、よ。まあ、アリスって読んでくれるなら問題ないわね」

 そうした会話の最中も、魔理沙の単独行動は止まない。

「で、そこの白黒」
「なにか用かパチュリー。私は今、両手がふさがっているんだぜ」

 本当にふさがっているが、箒に風呂敷を結びつけることでその問題は解消した。
 つまりパチュリーには、素朴で小さな新しい問題が発生した。
 急遽な解決より、着実な第一歩。それを考えながらパチュリーは言う。

「返せとは言わないから、持っていくのは、せめて読める分量だけにしなさい」
「そうは言っても、この図書館はつい足を運びたくなる魅力があるんだ。なあ、アリス」

 同意はするが、うなずきはしない。アリスはそういうスタンスをとる。
 魔理沙はパチュリーの言い分を聞いていないかのように、ふわりと箒を飛び立たせる。

「じゃあなパチュリー。また来るぜ」
「今度来るときは、本を両手に抱えてきなさい」
「お前は私を事故らせる気なんだな、まったく性格の悪いやつだぜ」

 おそらく今の魔理沙に、パチュリーが額に八の字をよせている事実は見えていない。

「そんなに皺を寄せていると、かわいい顔がだいなしだぜ」

 いや、見えていたようだ。
 だからより一層、パチュリーの眉は八の字によった。

「心配しなくてもいいわ。こんな顔をするのは、あなたと会う時だけだから」

 たちの悪い魔理沙に、真剣に受け答えをするパチュリー。
 その光景を見ていたアリスは、ふっと気づく。
 パチュリーは今、本当に不機嫌なのだと。 そしてその不機嫌があるからこそ、感情は多様に生まれるのだろうと。

「……なるほどね」
「? なんか言ったかアリス」
「なんでもないわ。さ、帰りましょ」

 くるりとパチュリーと図書館に背を向ける。

「また七日後に会いましょう、パチュリー」

 虚をつくアリスの呟きにパチュリーは、呆気にとられた後、苦笑する。
 そこには七という数字が入っていたから。
 パチュリーは、彼女も七という数字に縁があるのかしらと思い、苦笑したのだ。
 七という幸運の数字を持つわたしたちが、どうして黒色のジョーカーを引いてしまったのだろうか。
 そんなことを思いながら、知識と日陰の少女は本を広げ、穏やかな図書館の時間を満喫することにした。
 次に平穏が破られるのは、今から七日後なのだと記憶して。



∽∽∽∽∽∽∽∽



「まあ、今日は感謝するわ」
「あー? いったいなんのことだ」

 素直じゃないわね、とアリスは言おうとして止めた。
 今日一日、自分を含めて素直だった相手など一人もいなかったからだ。

「そうね。あなたという人間が、やっぱり迷惑の元凶だということにね」
「褒めるなよ、照れるぜ」
「褒めてないわよ」

 目の前の魔法使いは、困ったことばかりしてくれる。
 最も困ったことは、困らされて気づくことも多いのだと知ってしまったことだ。

「そう。褒めるだけが、褒めることじゃないものね」

 答えだけが、答えではない。
 正解だけが、正解につながっているわけではない。
 人形は文句を言わないから、幸せを感じる時がある。
 けれど文句を言われるから、幸せを感じる時もある。
 そしてその逆の感情も、作り手であるアリスは感じる時が来る。
 今日一日の体験で、アリスはそんなことを考えていた。

「あー? まあ、気分転換になってなによりだぜ」
「ええ、そうね。いい気分転換になったわ」

 『自立』した『人形』は、人形でなくなるのかもしれない。
 けれどそれは、もしかすると新たな人形が生まれるだけのことなのかもしれない。
 アリスが求めていることは、人形に似た、人形でない、『人形』だと思っている、哀れな人形を作り出すことなのかもしれない。

「……」

 アリスが求めたその『人形』は、かつて母へアリスがしたように。
 遠い日でない、いつかの日に。
 不安と期待の表情を混ぜながら、『自立』を求めてくるのだろうか。
 自立した意思と自律した思考を持ちながら、未だ人形であると思い、『人形』となることを求めるのだろうか。
 その人形は、アリスにとって既に『自立』した『人形』であるというのにも関わらず。

「……だから、あなたはわたしにとって迷惑の元なのよ」

 あの母の表情を、いつか自分も浮かべることになるのだろうか。
 寂しさと悲しさと喜びを混じらせた、あの表情で。

「気づかなくてもいいことを、気づかせるんだから」

 アリスの呟きに、魔理沙は即答する。

「それは良かった。私もお前に好かれようなんて思ってないからな」
「安心したわ」
「……好かれたり嫌われたりは、性に合わないからな。まどろっこしい関係は、勘弁だ」
「そうね。それだけは、同意するわ」

 魔法の森に住んでいる魔法使いは、彼女たちだけ。
 思い出したように、アリスは魔理沙に要求する。

「そうそう、あそこの本は返しておきなさい。わたしも読むんだから」
「主(あるじ)に許可は取ったのか?」
「取らなくてもいいように、顔見知りになったから大丈夫だと思うわ」
「ちゃっかりしてるぜ」

 苦笑する一人の魔法使いと、憂鬱な微笑を浮かべる一妖の魔法使い。
 今のアリスは、早く家に戻りたいと思っていた。
 帰る家には、アリスを癒しながら悩ませる、人形達がいるからである。
 家路につくため別れゆく二つの影を、沈みゆく赤い夕日がいろどった。